SPORTIAとコンテスト挑戦のストーリー

 

 

 

社長の野村がボディビルコンテスト及びベストボディコンテストに挑戦してきた思いを書いてみたい。

 

 

 

 

野村がパーソナルトレーニングと呼ばれるサービスを始めたのは、「2000年8月」

 

 

 

 

当時、福岡市南区長住にあった「長住フィットネスジム」の斎藤会長から施設を使わせて頂き、「パーソナルトレーニング」を始め、試行錯誤で形にして来た。野村が当時から普及したかった思いは、『予防医学の観点からのトレーニングライフ』である。現在もまったくブレることなく普及活動に尽力している。

*ここまでは、以前ブログに書いている。

 

 

 

 

では、「なぜ?コンテストに挑戦したのか?

 

 

 

 

 

野村が最初、コンテストに挑戦したのは、「2001年」

 

 

 

 

 

当時は、ボディビルコンテストしかない時代。

 

 

 

 

 

今では、「ベストボディ」や「フィジーク」と呼ばれるコンテストがあり、コンテスト初心者でも出場しやすくなっている。

*このような流れを作ったのは『ベスト ボディ ジャパン』であり、フィットネス業界への貢献度はものすごく高いと私は思っている。現在活躍されているプロフィジカーは、ベストボディコンテスト経験者がほとんどであり、ボディビルのレベルも飛躍的に高くなったのが「証」だと思う。

 

 

 

 

 

私がボディビルコンテストに挑戦した理由は、完全にプロスポーツトレーナーパーソナルトレーナー)としての自己研鑽である。

*当時から「筋肉」や「筋力」に自信があるタイプではなく、ボディビル競技選手としての活躍を考えていたわけでもない。純粋に将来、プロスポーツ選手のパーソナルトレーナーを目指すなら、高重量のウエイトトレーニングを指導できることは必須だと考えたからである。

 

 

 

 

ただ、2001年に挑戦した際はボディビルを誰かに教えてもらったわけでもなく、減量法を教えてもらったわけでもなく、今のようにYouTubeもない時代なので「ほぼ情報ゼロ」という感じだった。日焼けもしていなかった私は本当に”笑い者”だったと思う。もちろん、予選敗退。(ただ、ボディビルをなめていたわけではないし、個人的には憧れであり大好きな競技である!)

 

 

 

 

この初参戦、かなり恥ずかしい思いをしたが、参戦したことで今では業界の大親友になっている「谷ノ口さん」に出会えたことは大収穫だった!!挑戦していなかったらこの出会いはないですからね!!また、今のSPORTIAもないと思える出会いだった。(ちなみに谷ノ口選手は4位。めちゃくちゃカッコよかった!)

 

 

 

 

 

また、1人のアスリートとして主役になれるのは、裏方のスポーツトレーナーをする際にも大きな経験になることは間違いないと思う。

 

 

 

 

 

ボディビル初参戦から10年後の2011年に挑戦したボディビルコンテスト(JPC福岡・九州選手権)で「優勝」させて頂くのだが、これも当時のスタッフでボディビルを愛していた「マッスル井上」からのアドバイスがあったからこその結果であり、私のコンディションを評価して頂いたJPCが凄いと思う。

2012年もボディビルコンテストに挑戦させて頂き、最高の評価をして頂くのだが日本トップレベルのボディビルダーと同じステージに立たせて頂いたとき、「ボディビル競技を継続するならもっと競技に向かい合う必要がある」と強く感じた。

 

 

 

 

タイミングよく2012年から始まった競技が「ベストボディ」だった。当初は、「ジーンズに似合うカラダ!」をコンセプトに東京と大阪の2大会からスタートしている。

私自身も「これだ!」と強く思い、第2回大会(2013年)の東京大会から参戦させて頂いている。トレーニング好きの方はもちろんだが、モデルさんや俳優さんなども参加されていて盛り上がった!
(*写真は、2013年の東京大会でセミファイナリストに進んだ際、モデルの方と俳優さんと撮った1枚。お2人とも高身長でとてもカッコよかった!)

 

 

 

 

ここからは、ベストボディジャパン様のコンテストのみに照準を絞り、コンテストに挑戦する。プロスポーツトレーナーの自己研鑽ではあるが「過程」と「結果」にフォーカスするようになる。

 

 

「福岡大会」に拘ってきたのは、「福岡大会のタイトルが欲しい!」からだった。

 

(*1度だけ、2014年関西大会(ミドルクラス)に出場している。この年、俳優の金子 賢さんが日本大会に参加されるので一緒に並んでみたく福岡大会と関西大会に挑戦した。結果は、日本大会の権利を得ることができなかった。残念。)

 

 

 

 

2016年福岡大会(マスターズ)で3位。初めてベストボディで入賞し日本大会の権利を得る。

(左から工藤さん2位、原田さん1位、私)

 

 

3人で日本大会に挑戦。原田さんはファイナリスト。私と工藤さんは、予選敗退。

(*日本大会終了後、品川駅周辺の居酒屋で工藤さんと反省会。翌年、工藤さんは劇的に変わり福岡チャンピオンへ。)

 

 

 

 

 

私は、なかなか業務とコンテストの両立ができなく・・・毎年苦戦。

2016年4月、友人だった桝谷トレーナーがSPORTIAに入社。桝谷トレーナーをベストボディコンテストに誘う。日頃から節制しカラダづくりに励んでいる桝谷トレーナーは才能を開花!

 

 

 

 

 

2018年福岡大会(マスターズ)では、桝谷トレーナー4位入賞。私は、ファイナリスト。

(*左から2番目が桝谷トレーナー。1位工藤さん、2位原田さん。)

 

 

 

 

2019年福岡大会(マスターズクラス)、リベンジで臨んだが桝谷トレーナーは日程が合わなくて不参加。私は5位入賞。

 

 

 

 

2020年からは、パンデミックをはじめ、いろんな出来事が重なり私はコンテスト自体を断念。

(*桝谷トレーナーは、2021年福岡大会(マスターズクラス)5位。2022、2023年九州大会(マスターズクラス)3位。)

 

 

 

 

ベストボディジャパン様のコンセプトが大好きで個人的に応援(参戦することで)してきたが、40代ラストの2024年でコンテスト参戦はラストと考え、昨年の11月頃からもう一度ステージに立ちたく挑戦を始めた。
ラストステージ、友である桝谷トレーナーと最後まで残ることを目標にした。

 

 

 

 

2024年福岡大会(マスターズクラス)の結果。

 

*予選(サーフパンツ)

 

 

 

*ファイナル(ファーストコール)

 

 

 

*ラスト2名に2人で残る(涙)

 

 

 

*グータッチ

 

 

 

優勝:野村、準優勝:桝谷

 

 

 

 

ラストで念願の福岡チャンピオン。

 

 

 

 

11月末に開催される「ベストボディジャパン日本大会」に2人で挑戦できることに感謝し、ずっと目標にしていた日本大会での「ファイナリスト」を目指したい。